

DORAGON
DOES
HISUTMOST
TO HUNT
RABBITS
D
oragon
rabbits
&
R
それは本当に突然だった。
「…おいっ!お前っ…!」
「は、はいっ!?」
見覚えのある懐かしい気配、無意識に引き止めたのは、外見年齢が二十歳前後の女。
やはり似てやがる…
昔、血涙を流し今生の別れをした一人の女の面影が目の前あった。
「あの…?なんの御用ですか?」
人が良いのか、丁寧にも対応する目の前の女に、いや、知り合いによく似ていたからと言葉を濁せば、
そうだったんですね?と、大体の女なら、初対面の男に向ける筈のないだろう笑顔をこちらに向ける。
「世界には似た人間が三人程いるって聞きますし、だから気にしないで下さい。」
そう言葉を発し、立ち去ろうとした目の前の女を、もう一度腕を掴み引き止めた。
「…あの…どうかしましたか?」
「名前と連絡先、…教えて貰いてぇんだが。」
己から出た意外過ぎる言葉に、自分自身すら驚いてしまう。
だが出ちまったもんは、今更取り消せはしない。
目の前の女は少し困ったように俯き、その白い指を唇に当て、少し考えるような素振りをしている。
…迷うのかよ!
聞いた己が言うべきことじゃねぇが、警戒心が無さ過ぎるだろ!
心の中でツッコミを入れてしまうほどに、年相応も無く俺は焦っていた。
「それじゃあ、こうしましょう!…これ、私の名刺です。
ちょっと事情がありまして、フルネームはお教え出来ないのですが、
此処に書かれている私のメールアドレスか、繋がらなければ、こちらの会社の番号に電話かけてみて下さい。
その際、“エルフェルト”は居るか?と聞いてみて下さいね。…あ!…それと…」
「…なんだ?」
「貴方の事、なんてお呼びしたらいいですか?
私も上の名前しか教えられませんから、あなたも名前だけでOKですよ。
ほら!親密さは、名前の呼び合いからってよく言うじゃないですか!」
人差し指を立てて、上目を向いて見つめてくる女に、
本名ではなく、自身がとある場所で周りによれ呼ばれているミドルネームを呟いていた。
「ソルさん、それでは私は少し急ぎますんで、近い内にまたお会いしましょう!」
此方に手を振り、笑顔で立ち去って行く女に、
俺は思わず、マジかよ…。と一人その場で呟いていた。
「それで君は、その名刺を見ては一人どうすれば良いのか迷っていたんだね?フレデリック。」
A国H市のとある総合研究施設の男性用ロッカー室。
夜も深まり、帰り支度をする二人の研究者。
傍から見れば研究者とは到底思えないガタイのいい男が、
黒とピンクを主に使われて作られている派手な名刺を見つめ続けていれば、
後ろからもう一人の研究者が、その名刺を覗き込み、
「君がそんな顔をするなんて、どんな難題の案件かい?」
と声をかけた。
いかにも可笑しそうに笑う同僚兼親友に、それ以上からかうとブチ切れるぞと睨みを利かしながら、
その名刺を彼が普段から着用している “RIOT” ブランドのGパンの後ろのポケットに財布と共に無造作に入れる。
「いや、ごめんよ。別に君をからかいたくて聞いたわけじゃ無いんだ。
昼に話してくれた内容から、その女の子がアリアに似ていたって所が少し気なってね。
君がそう言い切るんだ。他人の空似ってわけじゃ無さそうだしね。」
「何か思い当たる節があるのかよ。」
「アリアは君も知っての通り、天涯孤独の身だった。でも、その彼女に似ている女性が現れた。
僕が考えるに、アリアの血と近しい人間なのかもしれないなっていう、まあ、いわばただの予想だけどね。」
「アリア、アイツは…常に親っつうもんに怯えてやがった、家族から逃げてきたんだと言っていた。
アイツが逃げ出すほどの家族だぞ。
だが少なくともこの名刺の持ち主である“エルフェルト”って奴は、怪しいほど警戒心っつうものが無え。」
「君の行動も驚きだけど、そのエルフェルトって子の対応も、確かに一般的な女性の行動のそれでは無いね。
…君はどうする?フレデリック。その名刺のお店の正体は掴めたかい?」
「……ハッ、テメェ聞いて驚け。こりゃあエスコートサービスの名刺だ。
しかもそこそこ有名な企業が裏世界で資金調達の為に斡旋業までしてやがるきな臭い感じのな。
ま、この名刺の持ち主である“エルフェルト”は、所謂コールガール…今風に言えば、エスコートガールってヤツか。」
「…………、え?…それは、本当かい?」
「…そんなもん、嘘ついてどうする。さっきそこの端末で調べたから、まあ…確かだろうが…。
世界最大の売春、買春規制大国で“あらせられる”我が偉大なるA国で、まだこんな事やってる企業があるとはな。驚くのは無理ないぜ。
腑に落ちたっちゃあ、腑に落ちたんだがな。」
「…君は、連絡するつもりかい?」
「さぁな…。そんなもん久しく世話にすらなってねぇからな。」
◇◇◇◇◇
「こ、これは…相当のお金持ちですかね…?」
初めてのお客様との初対面の時、いつも少し張する。
この仕事は、ある種のクジ運もあるのではないかと私は思っていて、例えお金持ちのセレブで支払いが良くても、
その分要求が激しいオプションばっかりとか、他にはお金の支払い以上のサービスを要求されたりとか。
この仕事は、お客様運が殆どなんじゃないかって思う。
今日のお客様は、本当の初めましてでは無くて、前に道をすれ違った時にたまたま声をかけて下さった方で、
すれ違う時に、アメフトとかの激しいスポーツでもしてるのかと思うくらいに身体が逞しく、
ついまじまじと見てしまった事をよく覚えている。
「やっぱり何かのスポーツ選手なのかなあ?」
メールのやり取りで教えられた部屋番号は、マンションの最上階の場所を示していて、
マンションのエントランスに一歩踏み入れようと扉の前に脚を運んだら、ドアマンにこんにちはと挨拶をされる。
エントランスの受付の人に彼の部屋番号を教えれば部屋電をしてくれて、
その後ドアマンの人がエレベーターの扉のボタンを押して待っていてくれた。
ある程度のランクのお客様を企業さんに回してもらえる程には私もそこそこ有名にはなってきてたけど、
これ程のお客様は、久し振り過ぎて緊張してくる。
み、身嗜み変じゃないよね?お客様に恥を欠かせない程度の服装は心掛けているけど、
今回みたいな超高級マンションだと、ちょっと不安になってきた。
今時だとかなり珍しい昔ながら扉に取り付けられたノッカーに手をかけて、トントンと木の扉を叩けば、
ガチャとドアノブが回り、開いた扉の先に、私に声をかけてくれた彼の姿があった。
「お久しぶりです、ソルさん。本日は、ご指名誠にありがとうございます。…というか、あの…寧ろごめんなさい!
本当は、その名刺とかではなくて、私自身の情報を教えられたら良かったんですけど、
なにせ個人情報漏洩は安全面とかの理由で、企業に固く禁止されておりまして…。」
「そんな事たぁ判ってる。俺がテメェに教えた名も本名じゃねえしな、お互い様だ。
…とりあえず中に入ってそこのソファに座ってろ。」
「お、お邪魔します…。」
小綺麗にされた広いリビングは、黒い革のソファにチェア、ガラスの天板のリビングテーブルの上に、
灰皿に吸い終ったタバコが何本か置いてあり、その他は何も置かれてはいなかった。
「コーヒーなら直ぐ入れれるが…」
「あっ、いえいえお構いなく!その…出来れば、料金の確認をさせて頂けたらと…。」
「…待ってろ、今入れ終える。その件で此方も話があるしな。…エルフェルト、お前も飲めるならコーヒー飲んでおけ。
砂糖は多めか?言えばミルクもつけてやる。」
「あのっ…これでも一応成人しているので、その言い方は…私の事、ちょっと子ども扱いしてませんか…?」
「じゃあ、ブラックでいいんだな?」
「………っ、さ、砂糖はっ…多めで、ミルクも追加で…お願いします…。」
「通常コースで、追加オプションは無しって事ですね?あと、コース時間ですが…」
「先程お前を斡旋してきた企業から連絡来たんだが、六時間しか居られねぇらしいな。」
「ごめんなさい、ちょっと用事がありまして…もしかして、それ以上のお時間をお望みですか…?
もしそうでしたら、ちょっと私の方で確認させて融通出来るか聞いたり出来ますが…。」
「ちっ、面倒くせぇな。…エルフェルト、テメェが今かけるであろう相手に俺に直接問い合わせさせろ。
その方が話が早ぇだろ。」
「でも、それはっ…!」
「お前に迷惑かけるもんでもねぇよ。良いから任せろ。」
「は、はい…。」
本当はそんな事いけないのに、目の前のこの人にそう言われたら抗えない何かがあって、
私は素直に自身の携帯電話をソルさんに手渡していた。
目の前で、私の仕事を斡旋してくれている企業のエスコートサービスの担当さんとソルさんが何かを語り合ってる。
電話からの声は少ししか聞こえないけど、多分戸惑ってる感じは凄いしてるなぁ…。
案の定、ソルさんが時間延長の話をしだすと、慌てた声が微かに聞こえてきてる。
「こっちは6時間以上の時間はねぇのかって聞いてんだ。既に何件か予約が入ってるから困るだと!?
そんなもん、俺がその奴らの分の金も払えば済む事じゃねぇか。
あぁ!?その先も予約が入ってるだぁ!?一日の労働時間を軽く超えてやがるじゃねぇか!?
テメェは労働基準法っつうもんを知らねぇみてぇだな!?
いいか今すぐその予約全て破棄しろ。予約してやがった奴らの金と俺の金を合わせた二倍はテメェに払ってやる、
ただし、奴らが予約していたエルフェルトの拘束時間は俺が頂くがな。」
え、え…ええええええええ!?!!?!?
ソルさんが言い放った言葉に、私は驚きすぎて開いた口が塞がらない。
そ、相場の二倍!?
しかも、予約していた人達のお金も二倍払うって…!?!?
今予約していた人達って、みんなそれぞれリピーターの人達だから…一人辺り6時間???
ええっと??
あれ?私…もしかして、ほぼ丸二日間、ソルさんと過ごす事になるの????
ど、ど、どどうしよう???そんな準備とかしてないっ!!!
頭がパニックになってる私に、電話を渡し、
「奴ら現ナマ見ねぇと納得いかねぇとかほざきやがった。俺は今からテメェの会社の担当者に現金を支払いに行くが、
お前は……いやエルフェルト、テメェは此処にいろ。いいか、ここから出るんじゃねぇぞ。
何か飲みたいもんや食いたいモンとかあれば冷蔵庫勝手に見やがれ。
それでも間に合わねぇなら、エントランスに電話しルームサービスでも頼んでおけ。」
「あの、でもっ…!お客様であるソルさんにお手数かけるなんて…!」
「客である俺の意向だ。これで納得か?」
「は、はい…。」
扉が閉まる音。
一人残された私は、どうして良いのかわからなくて一人あーだこーだと考え込んでしまう…。
リピーター様達の予約を切っちゃった…、私はラムの為にお金稼がなくちゃならないのに…。
でもっ…ソルさんがお金払ってくれるって…でもでもっ…こんな事何回もある訳が無い。
過去に大きいお金を支払ってくれた方がいたけど、私より魅力的な女の子が現れたら、一切連絡つかなくなっちゃったから、
ほそぼそとだけど、私を気に入ってくれてる人達を大切にしなきゃなのに、裏切る形になっちゃった…。
ソルさん…優しい…優しすぎて…辛いな…。
一目見て、凄く気になる人だった。引き止められて、嬉しかった自分がいた。
でも、引き止められた理由が私と似てる人と間違えたと言われて、私と似てる誰かに嫉妬してしまった自分がいて…。
このまま行ったら、どんどん好きになってしまう…。
ソルさんの事これ以上好きになったら、私…このお仕事出来なくなる…。
でも、リピーター様達が、みんながみんな私に優しくしてくれるかって言ったら違うんだって言い切れちゃう。
優しくしてるようで、歪んだ欲望のハケ口として私を扱う人や、単純に乱暴な人。
私が痛がって嫌がってるのに、無理矢理事を進めようとする人だってたくさん居る。
でも、ラムの為ならと我慢出来た。お客様に笑顔を向ける事が出来ていたの。
でも、もう…それも誤魔化しきれなくなっちゃう…。
あれ…?もう…泣く涙なんて、とうに枯れてた筈なのに…
目からポタポタと落ちる雫に戸惑って、慌てて自分の荷物からハンカチかティッシュが無いかと探していく。
目が滲んでよく見えないや…。
拭くことを諦めて、私はカーペットに染みる模様をずっと見続けていた。
バタンと扉が開いた音に、私は眠っていたのか、革のソファから起き上がる。
ん…わたし…いつの間に…。
「…おい、暗ぇな…明かりつけてねぇのか…エルフェルト!?居るのかっ!?」
「…ソルさん…?」
部屋の電気をつける音、急に明るくなってまぶしくて寝ぼけていた私は顔を腕で咄嗟に塞いだ。
「…居たな。ったく、テメェ明かりぐらいつけたらどうな………。
…おい、随分見ねぇ内に酷え顔になったな…。」
「え、え!?」
慌ててファンデーションのコンパクトを開けて顔を見たら、滲んだマスカラや、アイライン、
泣き腫らした目が鏡に写り込んでる。
「うわぁあ!ご、ごめんなさいっ!こんなみっともない姿をお見せしちゃうなんて!私っ、私っ!」
「良いから落ち着け。化粧落しやらなんやらその大荷物ん中に入ってんだろ。とりあえずそれで顔洗ってこい。
それで目の腫れは落ち着くだろうが。」
「なっ、なにいってるんですかっ!!だ、ダメですよっ!お客様の前でお化粧落とすなんてっ!!!
きっとソルさんだって、私の素顔見たら、ガッカリだぜ…とか、化粧してたから見れたんかよ。
とか!そんな事言い出すに決まって…っ!!」
「それは、俺のマネか何かか?テメェがスッピン晒すよか、今のモノマネにすらなってねぇヤツを晒す方が
よっぽどの恥晒しだろうがっ!いいからさっさとパウダールーム行きやがれっ!!!」
そうソルさんに怒鳴り散らされ、パウダールームまで背中を押され、中に押し込まれ扉を閉められた。
律儀に此方から開けれないように鍵までかけられてしまった。
「…あの…ソルさん?お化粧落とし終わったんで、出してもらってもいいですかね…?」
扉越しにそう声をかければ、
「開いてる、勝手に出てこい。」
とぶっきらぼうに言われて、そっとパウダールームの扉のノブを回して押す。
これで顔を拭けと渡されたタオルは、微かにソルさんの香りがして、思わずほんの少しだけ吸い込んでしまう。
わ、私ってば何やってるのっ!?
他のお客様のお部屋にお仕事しに行って、タオルは借りたりするけど、中には体臭がキツい方もいるから、
危なすぎてこんな事したことなんて一度も無かったのに!?
でも、どうしよう…
この香りは、贖えない…。
◇◇◇◇◇
「あの…お借りしたタオル、パウダールームのカゴの中に入れといたのですが、大丈夫ですか?」
「…少しは見れる顔になったんじゃねぇか。」
「へっ!?…」
「ま、化粧するなとは言わねぇが、元々造形は悪くねぇんだ。テメェは化粧する必要なんざ無さそうに見えるけどな。」
「そ、ソルさんっ!…そんな甘い言葉を私にかけないで下さい!女子力が減っちゃったらどうしてくれるんですかっ!」
「ああ!?なんだそりゃ?」
「J国で流行っている言葉の一種です。女子力が下がったら、人前でだらしない姿を晒しちゃったり、
ましてやその状態に慣れちゃったりして、その内だんだんもうどうでもいっかー!とかなって、
どんどん自分磨きを怠って行くんです!!」
「…それは何の検証だ?テメェの仕事の実体験か?…いや、リピーターを確保するっつう効果か…。
気に食わねぇが、テメェの職業においてはテメェが勝手に定義してやがる、その“女子力”っつう奴は、
大いに役に立つスキルだろうよ。
先程、テメェが所属している斡旋会社の担当者に現ナマ支払いに行ったが、エルフェルト、
お前のリピーター率は他の奴らの群を抜きん出ているらしい。
他の女ならいくらでも派遣させるから、テメェだけは勘弁してくれとしつこい程言われまくったが、
そんなもん煙に巻いてきた。
…泣いていた理由はなんだ?
悪いが、お前の性格は今の仕事は完全に向いてねぇぞ。
いや、サービス業として考えりゃかなり向いてるが、その内テメェ自身が壊れちまうだろうよ。」
「や、やめて下さい…!…私は、働かなきゃならないんです。たくさんお金を稼がなきゃならないんです。
…だから、これ以上…このお話は、止めにしましょう?」
ニッコリと微笑む笑顔は、まさしくこいつの壁ってやつか。
言葉で取り繕うのは最早面倒臭ぇな。
俺は、リビングの入口で突っ立ってやがるエルフェルトに近付き、遠慮なく抱き締める。
丁度自身の顔が、エルフェルトの頭辺りから首筋や耳元が近くで見える。
…臭いまで同じかよ。
遺伝子レベルで、かつての恋人と、目の前にいる女はほぼ同じなんだと証明され、心の中で悪態をつかずには居られない。
アリア、お前が言っていた事が当たっちまったじゃねぇか…。
『フレデリック…。私が居なくなっても、貴方が独りなのは嫌だからね…?』
『…アリア…お前は、俺がっ、お前以外を愛せるとでも思うのかっ!?』
『ありがとう…そう言って貰えるのはとても幸せな事。でも…それじゃあ…貴方を私で縛り付けてしまう…。
…大丈夫よ。貴方がまた愛したいと思える人は、いつかきっと現れる。そして、時間が…全て解決してくれる…。』
『お前はっ、俺にお前を忘れろと言いたいのかっ!?お前を忘れられる程の存在がこの先に現れる筈なんかねえっ!』
『違うの、フレデリック。私はね…貴方に私を“忘れて”なんて、そんな烏滸がましい事は言えない、言えないの。
…でも、いつか現れる貴方が愛する人の中に、“私”の欠片を見つけてくれたら…。私はそれで…幸せなのよ…。』
◇◇◇◇◇
抱きしめたまま、首筋からうなじ辺りに鼻を近づけ、その内髪を掻き分け、
顔を付け、耳元の後ろ辺りの髪を手櫛の容量で梳いていく。
「そ、ソルさん…」
「…なんだ…?」
「…少し苦しい…ですし、あ、あの…か、髪っ、髪にお顔近付けられるのは、少し恥ずかしいというか…あの…
あ…!い、いえ…ごめんなさい!なんでも無いですっ気にしないで下さい!
…さっきの会話もそうでしたが、ソルさんとお話してると、ついソルさんがお客様って事を忘れてしまいがちですね。私…プロ失格です。」
「…それでいい。俺の前では我慢するな。嫌なもんは嫌なんだと主張しろ。」
「でもそれはダメなんです!私…もう戻って来れなくなっちゃう!」
「何にだ?」
それ以上は踏み込んではくれるなと、ぎこちない作り笑顔を浮かべる目の前の女に少しだけ腹が立ち、
俺は奴の顎を上げ自身の唇を重ねた。
態と音を鳴らすように舌を動かせば、頑なに目を瞑り、鼻息から漏れる嬌声と頬と耳とが赤く染まる姿を視界に収める。
そもそもだ、俺はこういう場で感じた振りをされた事など一度も無ぇからか、これが演技かどうかなんぞ判断つかねえ。が、
コイツが演技であったなら、エルフェルト、テメェはハリウッドにでも出た方がよっぽど金になるぞ。
ふとそんな事を脳内にかすめる。
態勢が疲れたのか、一度互いの唇が離れ、向きを直し俺を見つめてくる瞳は、翠が何処までも深い。
一瞬、見惚れて固まっていれば、俺の頬に何かが触れる感覚に目が覚める。
「…ソルさん…っ、」
その呼び掛けられた声と同時に、首に抱き付き口付をしてくるエルフェルトに応えるように身体を引き寄せ、密着させる。
互いに夢中になり、リビングは、互いを求め合う音で埋め尽くされている。
微かに目を開ければ、タイミングが重なったのか、互いの視線が絡み合う。
見つめてくる瞳は翠が揺れ動き、そこから雫があふれて溢れた。
◇◇◇◇◇
交わした口付けで全て理解してしまった。
もう、手遅れだった。
私は…目の前のこの人が好きで、その声も、その臭いも、その言葉も、仕草も何もかもに、
一目見て既に惹かれていたんだ。
どうして、あんな名刺なんか渡したの?
一縷の望みを託してしまったの?
もしかしたら引かれるかもしれないとか、思わなかったの?
でも、現に私はソルさんに名刺を渡していて、ソルさんはこうして私を呼んで…。
こうした私は、彼を求めて、もう戻れない場所まで足を踏み入れてしまっている。
好き…、貴方が好きなの…
キスがこんなにきもちいい事なんて、私今まで全く知らなかった。
今までの私は、キスは、お客様相手に淡々とこなせば良いと思っていた、いわば作業で、
極端な事言えば、セックスだって、私の中では只の作業でしか無くて。
物理的に上手と思ったお客様は何人か居た。居たんだけど、それはあくまでも表面的で、
こんなに、心が不安定でグラグラして、心臓が壊れそうで、
これ以上の事…ソルさんとしたらどうなっちゃうのか全く予想が出来なくて、
今、凄く怖い…。
だからって、この誘惑に足掻ける程、私は…強くなんかない。